追い求めてたもの。
『本当に撮りたいものってなんだろう』
ここ数カ月、Twitterに上がっている写真を見る度に思っていたことである。みんな思い思いの被写体に向けカメラを向け、その結果をツイートしている。
ある者は私鉄の試運転、ある者は工臨、ある者は115、ある者は185。みんな本当に好きだから追いかけているのであろうと感じる。
さあ私はどうだろうか。ぶっちゃけ試運転なんて興味ないし工臨もよく分からない。115も新潟でテレビの中でしか見れないものを実際にカメラに収められて感動していたが、『本当に心から好きなのか?』と聞かれれば迷うレベルのものだ。
私の尊敬している115や415にヨンマルを撮りまくってる数々の撮り鉄は心から好きで南は九州、北は北海道と日本中を無尽に駆け回っている。
それに比べて私は『広く浅く』なんて聞こえのいい言葉を言って色々撮っていたが正直ただのにわかである。
極めるものもなければ情熱的な何かもない。多分『ただみんな撮ってるから俺も』という感情で動いていたのだろう。
このままではモチベーションが下がるだけだと感じた自分も何か心から好きで心から追いかけたいモノがあるのではないかと記憶や写真をとにかく漁っていた。
ひとつだけあった。 まだ小学校にすら入っていない時、緑の電車をものすごいスピードで追い抜いてたあの青い電車。そしてその仲間たち。後継に追い出されてしまったが房総の地であの時と変わらず最大10両で走っているあの電車。
今思えば、自分の鉄道好きの原点はここにあったのかもしれない。
そう、209系である。こいつこそが自分の追いかけるべきものだと気づいたのだ。
退屈な数IIの授業中に・・・。
思い立てばすぐ行動。ながーいLHRが終わった後すぐにあるはずのない用事を部活のグループに投げたあと、帰る方向とは逆の列車に乗った。
行った先で見たのは、昔を思い出させるあの形をした電車。元いた路線ではしなかった分割併合。通勤列車と近郊列車を兼用する車内。
しかし、元気に青い電車として活躍してた面影が強く残っていた。
自分の追い求めるものはここにあったんだと強く思ったこの日であった。
今ここに、209を撮り続けることを、さっき作ったiPhoneの209系のフォルダをあの顔、あの側面、あの車体で埋め尽くすことを誓う。
あの時みたいにまた追い出されるその日まで・・・・・・。
コメの国から vol2
vol1で3371Mを撮った後、コンビニで朝飯を買い込み休憩。そのあと3373Mを撮りに米山俯瞰へ行くことにした。この時はまだ、過酷な道のりというものを知らなかったのである...。車はあっという間に米山俯瞰へ到着。しかし目の前に広がっていたのは展望台でも緩やかな坂道でもなく、舗装された「斜面」であったのだ。急な山の斜面によくあるあの四角いコンクリートのアレであったのだ。
数分後、4人の撮り鉄はその斜面に足をかけた。キッザニアのアトラクションとか室内でやるボルタリングとか尾瀬の山とかそういうレベルじゃない。トレッキングシューズを履いてきてよかったと心から思った。しかしそれでも湿った土は靴の摩擦をなくす。意外とコンクリートの部分に手なり足なりかけれたので良かったがキツいのは変わらない。
やっとのことでその斜面を登りきり構図を決めてみるが何かが違う。高さが足りないのだ。Googleで検索したそれとはいろいろ違う。そして後ろにはまだ何段もあるさっき登ったのと同じ急な「斜面」。正直、うちの登山部より過酷だと思われる登り方であろう。
登ってはまた登る、これを五回繰り返したか、構図を確認するのも忘れてた自分は数分ぶりに見た日本海と雪に覆われ山々、そして黒井の工場のコンビナートである。一段目とは程遠い絶景であった。
しかし6段登ったのである。無論、高さは伊達じゃない。「足滑ったら死ぬな...」本当に覚悟した。足が寒さと恐怖で震えていたが何とか耐えようと努力。努力の極み。震えは収まる。
始発の新幹線に乗ってきたかと思われる同業者がこの斜面を登ってくるのを見下ろしながら構図のセットをする。自分とは違い慣れた手つきで斜面をひょひょいと登ってきた。
適当にしゃべってたらMT54の音が聞こえてきた。かなりの距離があるはずなのに割と聞こえる。
3373M 115系N38編成 @米山~笠島
苦労して登って怖がった甲斐は十分あった。高崎の115では絶対見ることができない日本海と湘南色。撮れてよかった。
ところで登山より下山のほうが辛いってのはよく聞く話だがこの斜面も例外ではない。マジで死ぬかと思った。2度とここに行くことはないだろう。
この後色々115を満喫した後、長岡からMAXに乗って帰った。電波がつながらないトンネルと夜景を望みながら何故か鱒寿司を食べてた撮り鉄がそこにいた。
[]EOS 7D Markll + いつものキトレン]
コメの国から vol1
こいつの友達の家というのは千葉でも多摩川でもなく深夜の関越道を走る1台の車であった。今から素敵な景色を見れるのだという期待を胸にしてたが、その背には親に嘘をついた罪悪感もあった。
ウトウトしていたら深夜の長岡だ。ロケハンをするということで信越線の撮影地へ。その間私は新潟の夜空に広がる星々に感動をしていた。
気がついたら朝の6時、起きた場所は米山の近くのアウトカーブの撮影地だった。おはよう信越と普通で構図を決めていたが雲が酷い、曇りの予報だったし仕方ないかと諦めていたら雲が抜けてきた。その瞬間、MT54の轟音が聞こえてくる。見えたのはキムワイプに見えるアイツ。
3371M 115系N-33編成 @柿崎~米山
某模型番組でしか見たことなかったこいつ。どこの理科室にもあるあのハコを想像させる塗装。
一応僕は理系な高校に通っているし実験室を見れば長野の廃車置き場みたいにキムワイプが積み上がっていて、撮りたかった1枚だったのだがまさか本当に撮れるとは思わなかった。
たった1枚の写真でも撮れたということだけで感動した。
【おまけ】
4095(?)レ EF510-515+コキ
この色は2年ぶりに見たのだがやはり過酷な日本海縦貫線。すっかり汚れていた。
これはこれでかっこいいよね。
[EOS 7D Mark2+キトレン望遠]
V.V
バレンタインも間近に近づこうとしてるとある日。家でぼんやりしてたら1通のLINEが届いた。
「明日ひま?」
気がついたら撮り鉄二人で東海道線のボックスシートに座っていた。自分はデレステ、もう1人は荒野行動をやり車内での暇な時間を潰してたらいつの間にか三島の駅に到着した。
今回は伊豆箱根鉄道がやるバレンタイン企画の列車を撮りに来たのだ。そんじょそこらの路線で張ってもお目にかかれない凸型電機。前々から撮ってみたいと思っていたのだが今回ようやくその夢が叶うのだ。フリーきっぷをお買い上げしていざいずっぱこへ。流れる住宅街がいつの間にか田園風景になっていた。なんやかんやで田京の駅に到着。まずは俯瞰で一発決める事にした。
[伊豆長岡~田京]
富士山が陰湿な雲に隠れてしまったがそこは自分の力じゃどうにも出来ない。妥協である。 なお今回の撮影、入間川で散ったはずの初代7D2の復活試し撮りも兼ねていた。 初代は縦アンで。
とても川に落ちたとは思えない写りに感動したのであった。
撮影地を降り踏切へ。修善寺で折り返す凸型がもうすぐやってくるというのでケツ撃ち面縦で2発目。
ヘッドマークのデザインが万年チョコレートを貰えない哀れな男子学生の心を抉りとるのであった。
昼飯を食ったあと、すぐに田京駅までのランニング。重いものを持った状態でのランニングのトレーニングをしたいと思った自分がいた。
3発目は有名なインカ撮影地へ。意外と空いておりローアンポジを獲得。
ここも富士山を収められる撮影地だったが雲が抜けることは無かったとさ。
ついで踊り子もキメておいた。185系のいい話は聞かないので撮っておいて良かった。
帰りは爆睡、気がついたら上野に着いてた。
何はともあれ楽しい1日であった。こういう機会に巡り会えたことに感謝。
P.S チョコレートの数は0個でした。世の中甘くない・・・。
俯瞰横アン・ケツ撃ち・インカ[EOS 7D Mark2(2代目)+変えたいなキットレンズ or SIGMA17-50/2.8]
俯瞰の縦アン[EOS7D Mark2(初代)+キトレン55-250]
+96h or +5760min
この日は朝の10時くらいに起床した。親はすでに家を出ており弁当と書置きだけ残していた。
そんなこんなで朝飯&昼飯の弁当をいただいた後、蒼い鳥のSNSを眺めていたら先の大寒波のおかげで4日ほど新津で冷凍保存されていた武蔵野線の配給列車が動き出したという報が入ってきた。屋根にかまぼこのような雪を重ねて首都圏に96時間も遅れてやってくる。これは「撮りたい!!!」となり翠の吹出のSNSを開く。丁度友人も「行きたい!!!」となっており協議。天気も微妙だったので近場へ行くことにした。
家を出て1時間ほどした後、協議した友人とは別の友人と宮原の駅の設計に怒りを感じながら撮影地へ向かっている2人がいた。
途中パンダのラッピングをした車と戯れながら目的のモノを待っていてたら1時間ちょい経っていた。協議してた友人も到着し、くっちゃべったりじゃれてたりしたらモノが来た。
2018/2/10 配9736レ EF81 136+209系M73編成 @宮原~上尾
粗を探せばいくらでも出てくるようなカットだが...まあ撮れないよりはマシでしょう。
4日遅れてくれたおかげで撮ることができました。ありがとう雪。96時間、分で表すと5760分遅れてきたとのことです。えげつない遅れようですが過去には豪雪で106時間21分遅れという凄まじい記録をたたき出した列車もあったらしく...
雪はいつになっても怖いですねぇ。 お会いした方々お疲れ様です。
[EOS 7D Mark ll(2代目)+2009年の55-250mm]
お知らせ
14記事ほど消しました。理由は恥ずかしいからとか色々...です。
高校生活で粗相をやらかしてしまうことも多数ありまして...そうやって怒られてるときとある先生から「メタ認知」という言葉を教わるのです...。簡単に説明すると「自分で自分自身を客観的に見つめる」という感じのものでございまして、怒られた後、ヒートアップして怒ってきた人に対して悪い感情を抱いてしまったりするのですが後々考えてみると全部自分が悪い...(例外多数)
まあそんな感じでございまして...。このブログの昔の記事を見てみるともう見てられない。悲しい事ですね...。
というわけで消しました。見られてるかもしれませんがその時はその時です。
これからは見返しても恥ずかしくない記事を目指します...。
[P.S]メタ認知を教えてくれた先生はブログやってます...ためになることばかりです.
北の国から vol2
vol1を書き上げてからかなりの日数が経った。正直言うと、分割したことを後悔している。
こんなことした以上何かを書かないと気が済まないので本題へ。
両端スラントの北斗88号を雪の中収めた日、貫通型のキハ183が運用に就く北斗を収めることがバッテリーの容量がかなり減ってて出来なかったのでそれを収めに行く事にした。
旅程の都合上、あまり遠くに行けなかったのでまた苗穂Sへ、撮影地に着いてから少し経ったら早速最初のモノが来た。
8D 北斗8号 @苗穂~白石
両数の事を失念していた為にスカスカになってしまった。ここで許せるカットが撮れてたら帰るつもりだったがそうは問屋が卸さない。
10D 特急スーパー北斗10号@同上
撮れてなかったスーパー北斗も回収、この日のカットで一番良かったのこれかもしれない・・・
12D 北斗12号 @同上
スカスカ度合いは減ったがなにかやるせないカットになってしまった・・・。無念。
スラントはもう撮れないだろうけど貫通型はまだ撮れる(はず)なのでまた里帰りしたら撮りたいものである・・・
と言いたいのだが、次帰る時には生き残っているかどうか・・・・・・・・・。
行動力と財力を増やしたいものである。
P.S ネタも思いつかないし不調でもあったため全く面白くない記事になってしまったことを深くお詫びいたします。
P.SのP.S 普段から面白くない記事でした。訂正致します。